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高知地方裁判所 平成4年(ワ)104号 判決 1996年3月29日

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告らに対し、それぞれ二二三一万〇三〇二円及びこれに対する平成四年四月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  請求の類型

本件は、河川で溺れて死亡した子供の両親が、子供が溺れたのは河川を掘削した後十分な埋め戻しをしないまま放置していたなどの点において、高知県知事(以下「知事」という)による河川管理に瑕疵があったとして、国家賠償法(以下「国賠法」という)二条一項、三条一項に基づき、河川管理の費用負担者である被告に対して損害賠償を求めた事案である。

二  前提事実(争いのない事実、証拠(甲二、三、乙一の1、七の1、2、八、九、一一、一五、一九、二〇、証人仙頭桂一(一、二回)、同小林達雄(以下「小林」という)、同横田重利(以下「横田」という)、同中山建一(以下「中山」という)、原告有光徹、検証結果)及び弁論の全趣旨から容易に認定できる事実)

1  赤野川

赤野川は、高知県東部を流れ土佐湾に注ぐ河川であり、赤野地区の水稲栽培、ハウス園芸等のために農業用用水を供給し、また、鮎が遡上する川として豊富な水産資源を供給する清流である。

この赤野川は、知事によって二級河川と指定、管理されて、被告がその管理費用を負担しており(河川法五条一項、一〇条、五九条)、赤野川の河川管理に瑕疵があれば、被告がその責任を負わなければならない。

2  事故の発生

原告らの三女有光佐和(以下「佐和」という。昭和六一年三月一四日生)は、平成三年五月二六日午後三時頃、赤野川で水遊び中に溺れて助け上げられ、高知医科大学医学部附属病院において治療を受けていたが、同年六月八日午後八時三〇分、溺水による心不全で死亡した(以下「本件事故」という)。

佐和は、当時、身長約一〇九センチメートル、体重約一七キログラムの五歳の保育園児で泳ぐことはできず、当日は、本件事故現場付近の赤野川に、昼過ぎから姉二人(小学一年生と三年生)と水着姿で水遊びに出かけていた。

3  本件事故現場

本件事故現場は、赤野川が国道五五号線と交差する地点から約七五〇メートル上流の大元橋の下流約三〇メートルに位置する、農業用用水施設として設置された高田頭首工(以下「堰」という)と、その上流にある通称坊の淵と呼ばれる深みの間付近であり、毎年五月ころから八、九月ころまでの間、付近の小中学生ら多数が、水泳、水遊び等に訪れる場所である。

溺れた佐和が水中から浮上して発見された箇所は、別紙図面のとおり、堰に幾つか設けられた排水のための水口のうち、赤野川の右岸側から二番目の水口(以下「本件水口」という)の直上流部の深み部分(以下「本件深み」という)である。

4  本件深みと本件事故現場付近の工事

平成元年八月頃、高知県東部を襲った台風及び集中豪雨により、赤野川は氾濫し、大元橋上流右岸が決壊した。そこで、知事は、この決壊した護岸部をコンクリートブロック擁壁の護岸に復旧する災害復旧工事(以下「護岸工事」という)を行うこととし、訴外仙頭桂一が代表取締役を務める有限会社仙頭建設(以下「仙頭建設」という)に工事を発注した。

仙頭建設は、平成三年二月五日頃から工事を開始したが、水位が高く、容易に工事箇所への河川水の流入を防止できなかったことから、一抱えほどの直径を有するバーチカルポンプ(以下「ポンプ」という)を本件水口付近に設置し、強制的に排水して工事箇所付近の水位を下げる意図の下に、同月一五日から、二度に分けて本件水口付近を掘削機械(バックホー)で掘削した(以下「本件工事」という)。

その方法は、堰の上流直近付近の右岸から堰に向かって平行にバックホーを停車させ、掘削アームを延ばして堰付近で一番深くなるように掘削し、その土砂をバックホー近辺の赤野川右岸に積み上げながら数メートルの深さの穴を掘り、そこにポンプを設置した。

仙頭建設は、同年三月一八日頃、護岸工事を完成し、ポンプを撤収し、積み上げていた土砂を使って、掘削した穴を埋め戻した(掘削箇所が付近の浅瀬に比してみず道として従前から深かったか否か、掘削後元のとおりに埋め戻されたか否かについて争いがある)。

三  当事者の主張

1  原告

(一) 本件事故の態様

本件は、佐和が本件深みに落ち込んで溺れて発生した事故であるが、右箇所付近は、本件工事以前においては被告が主張するようなみず道は無く、水深約四〇センチメートルの浅瀬であって、長年近隣の子供の水遊び場として利用されてきた安全な場所であった。

ところが、本件工事の際に掘削された深みは、十分な埋め戻しがなされず、本件工事終了後においても、半径約二メートル、深さ約2.5メートルのすり鉢状の穴として残されていた。

(二) 河川管理の瑕疵

河川の管理に瑕疵(国賠法二条一項)があるとは、河川が通常有する安全性を欠いていることをいうところ、本件深みは、知事が仙頭建設に発注して行った本件工事により現出したものであり、従来安全な場所であった部分に、それまで一般に予測された危険とは異なる、新たな危険が生じたのであるから、河川管理者である知事は、仙頭建設を監督指示して掘削部分を従前の状態に埋め戻すか、本件深みの周辺に、転落防止のための柵を設け、あるいは危険告知のための立札を設けるなどして赤野川の使用者にとって安全な状態に戻さねばならないのに、本件深みを放置したうえ、何らの手立ても取っていないのであるから、河川管理に瑕疵がある。

(三) 損害

合計四四六二万〇六〇五円

(1) 治療費 二三万九六八五円

(2) 付添看護費 七万円

一日五〇〇〇円として一四日分

(3)入院雑費 一万五四〇〇円

一日一一〇〇円として一四日分

(4) 葬祭費 一〇〇万円

(5) 受傷による慰謝料 三〇万円

(6) 死亡による慰謝料一八〇〇万円

(7) 死亡による逸失利益

二〇九九万五五二〇円

賃金センサス産業計・企業規模計・女子労働者の一八歳ないし一九歳の平均給与年収昭和六三年一六六万四〇〇円を基礎として、これに就労可能年数に対するホフマン係数を乗じ、生活費控除率を三〇パーセントとして算出

(8) 弁護士費用 四〇〇万円

(9) 相続 各原告に対し

二二三一万〇三〇二円

原告らは佐和の権利につき、両親として二分の一で相続した。

2  被告

(一) 本件事故の態様

本件深み部分は、前記平成元年八月頃の洪水によってできた、坊の淵から本件水口に連なるみず道(河床が自然に浸食されて道伏に河床がより深くなっているところ)の箇所にあたり、そのみず道は、本件工事以前から、本件深み部分で深さ約1.5メートルの、周辺の浅瀬とは異なる深みとなっていた。そして、仙頭建設は、本件工事で、その深みを更に掘削したが、本件ポンプを撤収する際、掘削した分は埋め戻して元のみず道の状態に復元した。

ところで、佐和が本件事故現場周辺で水遊びしていた状態や本件深みで溺れた経緯は不明であり、佐和が他所で溺れて流されてきた可能性もあり、佐和が本件深みで溺れたとは特定できない。

(二) 河川管理の瑕疵

河川管理の目的は、河川における洪水、高潮等による災害の発生を防止し、河川が適正に利用され、流水の正常な機能が維持されるようにこれを総合的に管理し、それによって国土の保全と開発に寄与し、もって公共の安全を保持し、かつ公共の福祉を増進することにある(河川法一条参照)から、河川の通常有すべき安全性とは、右のような河川そのものの機能の喪失、減退等に伴う災害等の危険に対する安全性を指すと解すべきところ、一般公衆においても、公共用物として河川管理の目的に反しない限り自由使用(水泳、水遊び等)ができるが、河川本来の管理目的から外れるような河川の自然状態に内在する危険は、自由使用者(保護者を含む)が自由使用に伴う危険として自らの判断と責任においてこれを回避すべきものである。

本件においては、右のような河川管理に関する落ち度はない。

本件事故が仮に本件深みで発生したものであったとしても、従来の天然にできたみず道とほぼ同じ深さであるから、その危険は子供若しくは保護者がその危険を回避すべきであり、仮に、本件工事後水深等において工事前と若干異なるみず道が復元されたとしても、みず道等の河床の状態は出水や増水時の洗掘等により変化し易いことを勘案すれば、一般的に予想できないような新たな危険を創出したことにはならず、河川の安全性を害したことにはならない。

したがって、本件工事箇所ないしはこれに到る場所に柵を立て、あるいは立て札や危険である旨の告知板等の設置の必要性もない。

(三) 損害

全て争う。

四  争点

1  本件事故の態様

2  本件河川管理の瑕疵の有無

3  損害の有無及びその額

第三  判断

一  争点1について

1  先ず、本件工事前及び本件事故当時の本件深み付近の状況について判断すると、証拠によれば次のような事実が認められる。

(一) 本件工事が行われる直前においては、本件深み付近を除いた堰の直近上流部は、堰に沿って概して浅瀬になっていたが、その浅瀬の幅はおおよそ一メートル半位で、そこから上流に向かって徐々に深くなり、二メートルも進むと大人の臍位の深さになり、また、右浅瀬には凹凸があり、深いところで少なくとも約四〇センチメートル位はあった(乙五の3、証人小林、同西野、原告有光徹)。

(二) 仙頭建設の従業員である西野克明(以下「西野」という)は、本件水口付近に本件ポンプを設置するために、先ず、水口を堰き止めている板を外して河川の水位を下げ、バックホーを操作してバックホーに取りつけられたバケット(高さ約1.5メートル)を垂直にして、先端部分を河床に着ける方法で掘削予定箇所付近の深さを確認すると、水位はバケットの上部まできていた。

次いで、西野は、本件水口付近の堰の直近部分は、堰の基礎部分の状況が不明であったことから、その直上流一ないし1.5メートルの河床部分を深さ約1.5メートルを掘削し、その穴状の掘削部分に本件ポンプ下部を斜めに挿入して固定した(以上につき、乙四の4、5、一二、一三、証人西野)

(三) その後、仙頭建設の代表者訴外仙頭桂一(以下「訴外仙頭」という)は、西野の掘削した穴が狭くて浅く、本件ポンプが土砂を吸うなどして十分に機能しないため、更に深く本件ポンプを設置する必要から、やはり堰直近部分から少し離して、西野の掘削した箇所に重複して、本件水口付近の堰の直上流五ないし六メートルの河床部分を深さ約2.5メートル(水面から約四メートル)、幅約四メートルの直方体型に掘削し直して本件ポンプを前同様に設置した。

その際、除去した土砂は、バックホー付近の赤野川右岸に積み上げておき、護岸工事終了後積み上げた土砂を全部戻す方法で埋め戻した(乙五の3、二三、証人仙頭桂一(二回))。

(四) 本件事故発生当時、堰の上流から堰に向かって流れる水量は少し多く、堰の天端のうちの上流側は流水を被っていて、堰の天端の高さと水位はほぼ等しかった(甲三、証人中山)。

(五) 訴外横田重利(以下「横田」という)は、本件事故当時、現場近くのビニールハウスで農作業をしていたが、堰付近から「子供がいなくなった」などの声がしたため、本件現場付近に駆けつけたところ、本件深み付近に子供たち(人数は必ずしも明らかでない)が集まっており、そのうちの一人から佐和が本件深み付近の少し深いところに沈んでいるのを見たと言うのを聞いた。そこで、横田は、長さ二メートルの棒を持ち出し、堰の上に立ち、本件深みの方にその棒を差し入れ河床を探ったが、河床に届かなかったため、再度、長さ四メートルの棒で混濁した河床近くをいわば手さぐり状態で探ったところ、堰の直上流から一メートルも遡らない本件深みのところで、右棒が佐和の体に触れるのを感じた。

そこで、棒を掬い上げるように動かしたところ、佐和の体が水面に浮上してきたため、川の中に腰まで入り、佐和を抱いて川から運び上げた(以上につき証人横田)。

(六) 赤野川漁業協同組合の組合長である訴外小林達雄(以下「小林」という)が本件事故後一週間ほどして佐和が沈んでいた箇所に棒を立てて水深を測ってみると、約1.5メートル、堰の天端から約1.8メートルの深さがあった。

(七) 本件事故の約二か月後である平成三年七月二六日の時点においては、本件深み付近には、堰直上流から上流に向かって幅約六メートル、その最深部は堰天端から1.7から1.8メートルの深さのみず道が上流に向かって右に蛇行しながら約一八メートル続き、やがて淵の深みに消えていた(乙二一、証人中山)。

(八) 右幅約六メートルのみず道のその最深部に対する角度は、堰から一メートルの上流地点においては、水口部分付近からは傾斜が九〇度(堰の壁面)で、いきなり深さ約1.8メートルの深みとなっており、また、本件深みの両縁の傾斜角度は、堰から八メートル上流付近までは、緩やかと言える部分もなくはないが、おおよそ二〇度前後から四〇度位になっており、それ以上の上流よりは、総じて「急」な勾配になっていた(前同)。

2  以上の事実を基に、本件工事前に本件水口付近から上流に向かうみず道があったか否かを検討すると、この点につき、証人西野及び同仙頭桂一(一回、二回)は、被告の主張に副う証言をしているのに対し、証人小林は、平成元年の水害前後で河床に変化があり、大きなみず道ができたが、それは、堰の北側の魚道へとつながっていたのであり、堰の右岸から二番目の水口(本件水口)につながっていたのではない旨証言し、原告有光徹は、平成二年の堰付近には危険な箇所はなかった旨供述しているが、前記認定事実、ことに、その掘削箇所をバケットで測った旨の西野証言は、具体性があるうえ、一貫しており(乙九、一三)、信用性が高いと認められること、平成三年七月二六日の時点(PTAの要請で河床を均したのは同月二八日である)においては魚道につながるみず道の痕跡は認められないこと(乙二一)からすると、証人西野及び同仙頭桂一の各証言のとおり、本件工事前には深さ約1.5メートル、幅2.5ないし三メートルのみず道が存在し、これが本件水口付近から上流に向かって右に蛇行しながら延びていたものと認めるのが相当である(しかし、その傾斜角度等の詳細は必ずしも明らかではない)。

3  右の点に関して、甲第九号証の二(平成二年七月八日撮影されたという写真)によれば、当日、水量は堰の天端まであるところ、本件水口のすぐ横の堰の上では、上流に向かって大人が腰掛けて足を水中に入れ座っているが、足は水底に届く状態であるように見えること、右水口の約一メートル上流側では、子供が水中に立っているが、水の深さは脚の付け根付近まであることが認められ、以上からすると、平成元年の水害の後であり、本件事故の前年である平成二年夏ころには、深さ約1.5メートルのみず道が堰の直上流(本件水口の直近)まで続いていたとの事実について疑問を入れる余地がないではないが、子供が水中に立っている箇所においては、その近辺の深さの状況が明らかでなく、子供が立っている箇所を含めてその近辺にみず道が存在していないとまでは言えないこと、西野は、右写真を見て即座に本件工事を直前の状況でなかった旨をはっきり証言していること、赤野川付近においては、前年の平成二年の夏以後において台風等により数回の大雨に見舞われており(枝番を含む乙三一ないし三三)、この際の出水により河床(特に堰の直上流部分やみず道の深さ)の状況が相当に変化したとの可能性もあることに照らせば、右判断を左右するに足りないというべきである。

4  次に、本件事故当時の本件水口付近の状況について検討すると、本件工事の終了により埋め戻した平成五年三月一八日ころから同年七月二六日ころまでの間には、雨量の多い梅雨の時期を経過しているから、同年七月二六日の時点における状況が即本件工事前における状況に直結するものではないが、この間において台風などによる異常な出水があったとの形跡はないから、ほぼこれに近い形でのみず道が存在していたものと推認される。

5  右の点に関し、横田証言によれば、訴外仙頭が本件工事中には水面から約四メートル掘り下げた箇所付近が、すり鉢状の穴になっていた旨証言し、また、本件事故の報道新聞(甲三)においても、ほぼ同様の記事が載せられているが、前記認定のとおり、小林が本件事故後一週間ほどして佐和が沈んでいた箇所に棒を立てて水深を測ってみると、約1.5メートル、堰の天端から約1.8メートルの深さであり、みず道の深さと大差はないこと、横田においても、堰付近を通行中に本件深み付近の感じを述べたものであって、正確さにはいささか劣ると考えられることからすれば、右証言ないし報道はそのまま信用することはできない。

なお、横田が二メートルの棒を操作しても底に届かず、四メートルの棒で底を探った事実は、堰の上から斜めに棒を操作していること、水流のある川の底を探るにはある程度の握りの部分が必要であるうえ、これを掬うように操作するためにはより長い握りの部分を必要とすることなどを勘案すると、堰の天端から約1.8メートル以上の深さがあったとの根拠にはなしえないというべきである。

別紙

6  次に、佐和が溺れた状況について検討すると、佐和は、当時五才で泳げず、しかも、当時は五月で体全体を水に浸すほどの本格的な水遊びの時期でもないうえ、堰付近は浅瀬であったことからすれば、本件事故直前までは堰付近の浅瀬で遊んでいたと考えるのが一番自然であること、当時堰付近一体は、護岸工事や本件工事の影響で濁り易い状況にあり、横田が佐和を救助した時も本件水口付近は混濁して底が見えない状況であったこと、佐和は本件深みで沈んでいたこと、本件深みの勾配は、相当に「急」な角度であること、確かに、当日は水量多く、流れもあって、堰付近の浅瀬は凹凸もあり、しかも、所によれば深さが約四〇センチメートルもあるから、場所によっては身長約一〇九センチメートルの佐和にとって歩くことも容易ではないと推認され、佐和が浅瀬で倒れて不意に水を飲み込んで溺れる危険性がないではないが、佐和が溺れたのが、本件深みの縁よりも更に外側の浅瀬であるとすると、佐和は、溺れた浅瀬から深みの縁を通過して本件深みの中心部へと流されたことになるが、このような移動は、川の流れからすると直角方向に近くなり、このような水流があったとは考え難いことなどを総合すると、佐和は、浅瀬で溺れて本件深みに流されたと考えるよりは、混濁のために本件深みが認識できず、本件深みの縁でつまずいたか滑ったかして転倒し、水を飲んで溺れて、本件深みの中心部に落ちて行ったと推認するのが相当である。

二  争点2について

1  既に判示したとおり、本件工事は既に存在していたみず道を利用して本件ポンプを設置するための深みを掘削し、護岸工事の完了とともに本件ポンプを除去したうえ、掘り出した土砂を右深み部分に返す方法で埋め戻したことが認められるが、本件工事前のみず道の最低辺の幅やこれに至る角度などの詳細はかならずしも明らかでない。しかし、本件事故当時においては、平成五年七月二六日の時点における状況にほぼ近い形でのみず道が存在していたものと推認されることについては、前述のとおりであるところ、本件工事による掘削がなされたのは、堰から上流約八メートルまでの間であるから、より正確には、堰の上流九メートル地点のみず道の形状が本件工事前の形状に近いと考えられる。そして、右九メートル付近の深みの縁の傾斜角度は、右岸側で約一メートルの間が約一三度でその先が約三五度、左岸側で約一メートルの間が約一〇度でその先が約三五度となっており、既に認定のとおり、堰から八メートル付近までのそれがおおよそ二〇度ないし四〇度であることに比べると大分緩やかと言えること、掘削して掘り出した土砂を後日そのまま埋め戻したとすれば、従前よりは土砂の量が減り、従前の河床よりも深くなる傾向になり、また、その縁に対する角度も従前と同一に埋め戻すことは不可能と考えられること、埋め戻した後の河床は他と比較して柔らかく洗掘の影響を受けやすいと考えられることなどからすれば、本件事故当時の本件深み付近の状況は、本件工事前の状況よりも、混濁し易いことに加えて、深みの縁の傾斜角度や深さにおいて危険度が多少増大していたものと推認される。

2  ところで、営造物の設置または管理の瑕疵(国賠法二条一項)とは、営造物が通常有すべき安全性を欠き、他人に害を及ぼす危険性のある状態をいい、右瑕疵の存否は、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合的に考慮して具体的かつ個別的に判断すべきことがらである。

これを、自然公物たる河川の管理についてみると、被告も主張するとおり、人工公物である道路等の営造物とは異なる特質があることは否定できず、河川の自由使用に伴う危険は、原則として自由使用者(保護者を含む)自らの責任と判断で回避することが予定されていると解される。特に、河床の管理については、出水毎にみず道や深みが大きくあるいは微妙に変化することは周知のことであり、自由使用者は、自らの責任と判断で河床の危険を回避しなければならないのが原則であると考えられる。

しかし、河川管理者が、河川管理のために、各種の工事を行うなどして河川の従前の状況に変更を加え、それにより従前に比べ河川の使用者に危険を及ぼす可能性が生じた場合、この場合は、河川管理にともなう人為的な力で危険な状態が作出されているのであるから、別異に考えねばならない。

すなわち、この場合には、河川管理者に、当該場所の周囲の環境、従前からの利用状況等の具体的事情に照らし、利用者が変更された河川の状況について的確に認識できないまま従前どおりの利用を継続することが予見されるにもかかわらず、右の危険防止のための適切な処置を施さずに変更された状態を放置しておくことは、河川のもつべき安全性を害することになり、河川の管理に瑕疵があるというべきである。

3  そこで本件について検討すると、先ず、護岸工事により混濁し易い状態になった点であるが、確かに、堰付近が子供の水遊び場であったとしても、自然工物である河川は、大雨による出水や崖崩れ等により、常時混濁し易い状態が惹起されているとも言えること、護岸工事が行われたことは付近住民において直ちに認識できるうえ、同工事による混濁し易い状態を人工的に改善することは不可能に近いこと、護岸工事により混濁し易い状態になったとしても、その影響の程度や範囲、時期等については、天候(雨量、水量等)等自然状況により左右され、その詳細は全く不明であることなどに照らせば、工事の影響で混濁し易いことについて、看板等により表示するなどの方法を全く講じなかったとしても、河川の管理に瑕疵があったと言うことはできない。

4  次に、深みの縁の傾斜角度や深さにおいて危険度が多少増大していた点であるが、佐和の年齢、身長、体重からすると、本件工事前のみず道において溺死する危険も大きく、本件工事による危険度の増大というのも、その度合いは相対的に低いこと、本件工事後の埋め戻しとして、従前と同一に埋め戻すのは不可能であること、本件工事の前後の変化は、埋め戻しを行ったことによって特に大きいと言えるものではなく、出水毎にみず道や深みが種々に変化する程度のものと考えられること、このような変化が継続する時期については、天候(雨量、水量等)等自然状況により左右され、その詳細は不明であることに加え、護岸工事や本件工事が行われたことは付近住民において直ちに認識でき、深みの縁の傾斜角度や深さにおいて危険度が多少増大する程度の変化が生じることは一般的に予想できないことではないことを合わせ考えると、本件深み付近に棚を設けるなどして転落防止の処置をしなかったことや工事により深みの縁の傾斜角度や深さにおいて危険度が多少増大していたことを看板等により表示して警告しなかったとしても、河川の管理に瑕疵があったと言うことはできない。そしてこのことは、堰付近が子供の水遊び場であったとしても、判断を左右しない。

第四  結論

以上によれば、その余の点について判断するまでもなく本訴請求は理由がないから、これをいずれも棄却することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 溝淵勝 裁判官 久我泰博 裁判官 遠藤浩太郎)

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